2020年御翼4月号その2

         

なぜキリシタンは250年も潜伏できたのか

 小学校の社会科で、江戸時代、踏み絵をしなければキリシタンは処刑された、と習った。カトリックには煉獄(れんごく)思想があり、「先祖たちは煉獄という天国と地獄の中間にいて、子孫が棄教(ききょう)しなければ、先祖たちも天国に移される」と教えられた。それでカトリックは子どもも一緒に殉教したとも言われる。しかし、イエス様は黄泉(よみ)に降(くだ)って宣教された(ペテロ第一3・19)とあるので、死後も救い主を受け入れる機会はあるのだ。「煉獄思想」は聖書には書いていない「偶像」と言える。
 熊本県天草では、踏み絵にはある時期からロザリオ(十字架)が描かれなくなり、信者が踏みやすいようにできていた。また、天草には宗教にはこだわらないという風土があった。更に、寺請(てらうけ)制度(寺院へ所属することを強要し、奉仕を行っている者はキリシタンではないと判断)のお陰で、キリシタンらはかえって守られた。しかし一八〇五年、天草崩れ(密告によって、﨑津の村人の七割がキリシタンだと発覚)が起こる。
 法律に従えば処刑であるが、全員無事だった。その理由は、「宗門(しゅうもん)心得(こころえ)違(ちがい)」とされ、彼らはキリシタンではなく、変わった信仰を持った者たち、と認定されたからである。取り締まる側としては、踏み絵を踏み、寺院に所属する者をキリシタンだとすれば、これまでの政策が無意味だと認めてしまうことになる。以上の理由から、キリシタンは二五〇年も潜伏を続けることができた。
 秀吉の時代には、万単位での処刑があったが、江戸幕府では地域差はあったにせよ、キリシタンは公認されていたと言える。真の神に従って行く道は、やがて報われるのだ。


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